(BA東京より抜粋)
組合の誕生
戦後、20年までの美容業界は、複数の組織が存在し、正に群雄割拠の時代であった。昭和31年頃から環境法と理容師法から分離した美容師単独法が国会で審議されはじめ業界組織の一本化を望む声が大きくなっていた。この時期。全日本美容師連盟(全美連)、日本美容師総連合(日美)、美容師行政全国連盟(行政連)の3団体が主義、主張を異にして対立していたが、この3団体が協議を重ねた末、昭和32年3月、全日本美容組合連合会が結成され美容界が初めて1つになった。 更にこの年、環境法、美容師単独法がそれぞれ施行され、翌昭和33年1月17日、現在の組織である全日本美容業環境衛生同業組合連合会(全美環連)が27都道府県の参加を得て発足した。 こうした経過の中で、東京都の美容業者は全美環連発足までは、全美連、日美、行政連の各団体にそれぞれ個別に又は地域(現在の支部)毎に所属していたが、昭和32年の環境法の成立をにらみ、各道府県美容環同組合結成の動きが始まる。 |